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不思議の古代史ブログ版

日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版1

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本書は、日本ピラミッドはラインで解けた!上・下巻の案内版です。
各内容での詳細説明が省略されています。詳細は、本編をご覧ください。
本編の詳細は下記から
◆日本ピラミッドはラインで解けた!冊子案内


●八幡山の発見

平成十四年、兵庫県の生野山中で奇妙な巨石遺構を発見した。
当時この山は、生野町と神崎町・大河内町(この二町が合併して現在の神河町になった)の三町の境界点上になり、山名を、八幡山と云った。
その頂上には、数十個もの巨石が配列を為して、東西南北以下の方位を指し示し、その中には、磁場が狂い一定の方向を指し示す巨石もあった。それが、古代のピラミッド遺構だった。

●酒井勝軍と竹内文献
 

日本のピラミッドは今から七〇年をさかのぼる昭和九年、酒井勝軍発見した広島県庄原市の葦嶽山に始まる。
謎の奇書・竹内文献には「日来神宮ーヒラミット」の記述があり、日本は元より世界の山々が記されていた。
酒井はこのヒラミットが、古事記に記された八尋殿(ヤヒロドノ)であると指摘する。八幡山方位石の指す方向には、まさに、竹内文献に記された山々が存在していたのだ。
さらに、八幡山を中心に描いた十六方位線上には、兵庫県の千メートル級の山々の八〇パーセントまでが存在した。

●兵庫十六方位図
http://taiyo.goraikou.com//hyogo/00/h10-hachiman.htm

剣山
四国徳島には、奇々怪々な伝承が伝わる。

剣山頂上には、ソロモンの秘宝・伝説のアークが秘匿されているという噂があり、白人神社の磐境は、古代イスラエルの石組みに似ていると云われ、東祖谷村の八幡神社は栗枝渡(クリシト)神社ともいい、地元ではクルス堂と呼ぶ。


・・・・略・・・・


●八幡山連峰
八幡山近郊の伝承から現れたヒメコ山の北斜面は、膨大な方位石が立ち並ぶ八幡山の第二拝殿だった。さらに、連峰最南部の大嶽山の頂上にも磐坐が存在する。
 
八幡山は八幡山ーヒメコ山ー大嶽山とつづくピラミッド連峰を成していた。

・・・・略・・・・


●秦氏はクリスチャンか?
明治四十一年、元東京文理化大学の「佐伯好郎」博士は、秦氏がクリスチャンだったと指摘した。

「広隆寺」

京都市右京区太秦(うずまさ)に秦氏の氏寺があり、その別名が「太秦(うずまさ)寺」だが、これと同じ名前の寺が中国にもあった。
六三八年、景教の教会・波斯(はし)寺が長安に建立された。
波斯(はし)とはペルシャのことである。この波斯寺は、後に大秦寺(たいしんじ)と改名される。中国で「大秦」と書けば古代ローマ帝国を指した。
景教とは中国に伝わったキリスト教のことで、中国では「大秦景教」と呼ばれていたのだ。


「蚕の社」の「三柱鳥居」

広隆寺の傍の蚕(かいこ)の社もまた秦氏創建の神社だが、ここに建っている鳥居には、鳥居の柱が三本あるのだ。三本の柱に込められた意味とは何か。「新約聖書」には聖なる存在が三人いる。
「御父」ー父なる神。
「御子」ーイエス・キリスト。
「聖霊」ールーハと呼ばれる存在。
博士はこの三柱鳥居が、キリスト教の教義である三位一体の象徴ではないかという。


「大酒神社」

同じく秦氏創建の「大酒神社」は、かつては「大辟」と書いて「オオサケ」と呼んだ。兵庫県赤穂に秦氏の頭領を祀った「大避神社」があるが、この神の正体が一切不明・・、わからないのだ。
ところが、佐伯博士は、景教教典の中に「大辟」とそっくりな名前の男を発見した。
その名は、「大闢(だいびゃく)」。
大闢とはー、イスラエルの王「ダビデ」のことだった。
大辟明神とはダビデ明神ー。大辟神社とはダビデ神社だったのである。

ここからは、古代の日本に古代のイスラエル人がやって来たのではないかーという話に発展していく。
しかしそうではない。
日本の古代史は、そんなに単純なものではないのだ


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