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不思議の古代史ブログ版

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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版6

TOP-PAGE・目次


●竹内文献は事実を記す!ー竹内文献の検証
 
竹内文献とは、明治に出現した古史古伝のひとつである。
竹内文献には、日本の正史・記紀に記されない超古代の歴史が記されていた。
日本の古書には、山岳の巨石遺構については一切の記載がない。
ところが、竹内文献にはピラミッドが記されていたのである。
それは、竹内文献に伝わった「御神宝」の中の御神体石(ごしんたいせき)に、神代文字で彫り込まれていた。
『イヤヨ月円(まど)六日、吉備常根本国 大綱手彦命天皇霊廟 亦ノ名メシヤ 日ノ神月ノ神 造主神日来神宮』

・・・・略・・・・

アカデミーは竹内文献やその他の古史古伝を偽書として葬り去っている。
しかし、これが事実の古代史が解明できない理由なのだ。
竹内文献には広辞苑でも把握できない事実が記されている。
そのひとつが地名である。
ここでは、ピラミッド山探査の途上で現われたひとつの事実をご紹介する。

●コゼ

市川流域の市川町は播磨風土記で川辺の里と呼ばれた地域で、川辺の里は東岸一帯を指しその中心が小畑集落だ
った。小畑は南の川辺から北へ伸びたY字形の集落で、集落中央で山を挟んで東小畑と西小畑に分かれる。
風土記に出てくる小畑川は、東小畑を貫流して最北の山に突き当たる。この突き当りが「コゼ」と呼ばれる谷で、突き当たりの山を地元の者はコゼ山と呼んでいた。
だが、この「コゼ」の意味を知る人は一人もいない。
昔からそう呼ばれ伝えられてきた地名であり、広辞苑にも載っていない言葉だ。
ところがこの意味が解ける。竹内文献の中にこの「コゼ」があったのだ。
地名・・ではない。風の名前なのだ。

東小畑北端の「コゼ」は、東の風を意味する言葉だったのだ。
すると東小畑に対応する西小畑にも、あるー、
西小畑には「ナゼ」と呼ばれる場所が存在した。
ナゼとは「西の風」、ふたつの言葉は、対応地名として使われていた。 

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さらに、これらの言葉のいくつかが今でも生きていた。
また、地名としても広域の範囲で残っているのだ。

二〇〇五年には、蟹江敬三・主演の映画まである。
タイトルは「MAZE マゼ」、高知県香美郡夜須町手結港を中心に描かれた漁師の物語である。
マゼとは南風の意味で、高知県の田野浦・室戸・高知などの漁師の間で現在も使われているという。
高知市民図書館に拠れば、マゼとは南から吹く温暖なやわらかい風で、この言葉は四国・九州に広く分布しているとしている。

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さらに、全国の地名ー。
愛知県豊田市松平志賀町コゼ。

ここでは漢字を充てることなく、そのままの発音地名で残っている。
この発音に漢字を充てた地名が、
新潟県新潟市西区小瀬。 
兵庫県姫路市夢前町古瀬畑。
ナゼには、名瀬・奈瀬などの漢字が充てられ、
京都府綾部市戸奈瀬町。 

神奈川県横浜市戸塚区名瀬町。 
鹿児島県奄美市名瀬佐大熊町(旧・鹿児島県名瀬市)。鹿児島県奄美市名瀬(旧・鹿児島県名瀬市)。
奄美大島の名瀬地名由来では、古くは琉球に属していたこの地の名前の由来について、魚瀬(ナゼ)、空地(ナージ)、大島の中地(ナージ)からきたとする説があるが定説はない、とされているらしい。
マゼには、馬瀬・間瀬などが充てられ、

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地名由来の一例として、岐阜県の馬瀬ではー、
馬瀬川は飛騨川第一の支流でその両側には千メートル以外の山並みが続き、川沿いの平野・河岸段丘の上に馬瀬村の集落が点在している。

馬瀬村のマゼ地名はこのような地形から生まれた。マは壁で、仕切った居間や応接間の「間」、
壁のような山に囲まれた広がりの間で、間を流れる川が馬瀬川であり、全国のマゼ地名の大部分は間瀬であるー、
と、まあこのようにまことしやかに説明されているが、デタラメ話ー。
それぞれの地域でそれぞれの地名由来が語られていると思われるが、それらは全て間違いである。
これらの地名のある場所には、おそらく、その近隣に対応する地名の痕跡が残っているはずだ。
全国にある数多くの地名は、発音に漢字を充てたもの・・、つまり、地名は漢字以前から付いていたのだ。漢字は、発音に充てた単なる当て字にすぎない。
竹内文献が漢字以前の歴史を記していることは間違いない。



●謎の竹内文献
竹内文献とは、越中富山(富山市)の御皇城山(おみじんやまー現在の呉羽山)にあった皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)に伝わった古文書類である。
竹内文献には、その出生から最後に至るまで、奇妙な悲劇の影が付きまとう。
伝承によればー、
竹内文献は神武天皇以来、代々の皇統に伝わる神代からの歴史書だった。

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さらにー、竹内文書には信じ難い記述がつづいていく。


本編の詳細は下記でどうぞ
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竹内文献/皇祖皇太神宮富山
竹内文献/皇祖皇太神宮/茨城


 ⇒TOP-PAGE・目次
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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版5

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●変貌する巨石ー政権交代を記す磐座
当初の山上には男神・女神を象徴した男根・女陰を模した巨石が築かれていた。それがいつの頃からか、巨石の形が変わって行く。
亀山を始めとして各地の山に亀の巨石が現れてくるのだ。
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ところがここに、もうひとつの巨石が現れてくる。
亀石の数には及ばないが、山上や神社に祀られている巨石がある。
「鶴」の巨石である。鶴石は全国の山や神社に散在し、鶴地名も亀地名同様に全国的に存在する。
剣山山上には、亀石と鶴石が並び、剣山は元は鶴亀(つるき)山と呼ばれたという。
鶴千年・亀万年と云い、長寿の象徴とされ、お目出度い生き物として昔から珍重されてきた。
だが、鶴や亀が千年も万年も生きる動物ではないことは誰でも知っている。
ーなのに、なぜ鶴と亀が長寿の象徴となっているのか。
この簡単と思われている話の背後には、日本歴史の草創と人類の基本構造が隠されていたのだ。
この簡単と思われている話の背後には、日本歴史の草創と人類の基本構造が隠されていたのだ。
鶴石を追っていくことで現れてくるのは、謎の不合(フキアエズ)朝の存在である。
記紀は神武天皇以前に一代あったと記し、竹内文献は七十二代の王朝として
記す謎の神武以前ー、ここからカゴメの唄の謎も解けて行くことになる。


●日本ピラミッドの成立ー?
ここまでの話は、祭祀施設としてのピラミッドと神社の関係だった。

神社は祭祀専門だが、ピラミッドは祭祀だけのものではない。
ピラミッドには、神社では為し得ない重要な使用法があったのだ。
ピラミッドラインは日本列島だけでなく、世界につながっている。
世界のピラミッドラインとつなげる事で、これまでとは異なった様々な事実が現れてくる。
世界の経度・古代の地図・聖書の記述ーこの三つをつなげて、日本ピラミッドの成立を推定する。
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つづきは⇒コチラ6

本編の詳細は下記でどうぞ
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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版4

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●ピラミッド山を踏襲した神社
ピラミッド山塊には、三つの高峰があった。この三峰にそれぞれ三人の神が祀られていた。
八幡山で云えば、八幡山・ヒメコ山・大嶽山の三峰であり、八幡山には八幡の神、ヒメコ山にはアマテラス大神、大嶽山はオオザケ山で大辟神ー、以上の三神が造化神として祀られていたのである。

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●磐座を踏襲した三柱鳥居

   

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鏡合わせのピラミッドライン
八幡山や亀山のピラミッド山塊に三つの高峰があり、オリオンの三ツ星配置になっていた。
さらに地図を確認すると、八幡山山塊ー亀山山塊ー大避神社を結ぶラインもまた三ツ星配置になっていることが分かる。

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鏡像反転?・・ピラミッドライン
ポイント点は由良ガ岳である。
この由良ガ岳を起点とした南西の八幡山ラインと、反対の南東へ伸びる伊勢ラインがちょうど鏡写しになっているのだ。
神社の総本山・伊勢神宮と八幡山ラインが鏡写しになっているのである。
伊勢神宮
 神社に祀られているのは造化三神である。
三柱の神を祀るには三つの本殿が必要だった。
往古の伊勢神宮には、内宮と外宮それぞれに三つの正殿が存在した。
古代伊勢神宮を描く「伊勢両宮之図」には、内宮・外宮ともに三つの正殿が描かれているのだ。
内宮の三つの正殿には古事記の造化三神が、外宮の三つの正殿には日本書紀の造化三神が、それぞれ祀られていたという。
三神で表わすのが唯一絶対神ー、ひとりの根源神である。
ところが歴史のある時期、三つの正殿が一つになった。
内宮・外宮の三つの正殿がそれぞれ一つになった。
そして、三つの正殿に祀られた三人の神を三つの神社に分けてしまったのだ。
これが記紀成立の八世紀ではないかと云われる。現在の伊勢神宮には、正宮の内宮と外宮以外に、十四の別宮(わけみや)がある。この別宮の中に隠された正宮が存在するのではないか。
多くの研究者がこの問題に取り組み、もうひとつの隠された三つ目の正宮が、伊雑宮(いざわのみや)ではないかと指摘した。
元の三神が内宮・外宮・伊雑宮に分離されて祀られているというのだ。
問題は、三社の配置である。

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●ちょっと微妙な「豊受大神」
南東ラインの伊勢三神社の祭神を並べてみると、
外宮・・・豊受大神。
内宮・・・天照大神。
伊雑宮・・・天照大神御魂。
こうして並べたとき、内宮と伊雑宮は「ああ、あの神様か」と分かるのに、外宮の神さまがあなたには分かるだろうか。
説明の必要な神さまではないだろうか。それは古代においても同じではなかったか。
豊受大御神(トヨウケビメ)の神名の「ウケ」は食物のことで食物・穀物を司る女神とされる。豊受大神は、天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり・・・・どうも説明が多すぎる・・、ではないか。
この神は、天照大神と同列、または、それ以上と云うが、天照神より先に生まれた神というだけなのだ。
比べて、天照大神は全体の神を統合する位置にあり、どこでも見ることの出来る有名な神さま。
つまり、この二神が並んでいるのがどうもピンとそぐわない。
そう感じた方も多いのではないかー。
つまり、外宮の神様=豊受大神も、元は見たら誰でも一発で分かるはずの神様だったのではないか。

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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版3

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●最北の亀の山ー大嶽山

市川をさらにさかのぼる。
川はひとつの山塊に突き当たり、ここで東西に分流する。
この山塊の南端に亀の山があった。しかし、この山名は亀山でも甲山でも城山でもなかった。

山塊は八幡山連峰。その南端の山の名は「大嶽山」。
八幡山連峰の最南端で、この頂上に立てば、はるか福崎の神前山まで一望できる。
この「大嶽山」の名前にこそ「亀」の秘密が示されていたのだ。
大嶽の嶽とは山の意味であり、大嶽山とは大きな山・山という意味で特に意味を為さない。

つまりこれは、オオダケ、あるいは、オオダケヤマと呼ばれていたものに、大嶽という漢字を当てた、つまり、当て字なのだ。

そして重要な事は、この地方ではザ行とダ行の発音の区別がつかない。
ここは神崎郡(カンザキグン)だが、この地方の人が発音するとカンダキグンになってしまうのだ。
すなわち、オオダケはオオザケだったのだ。

ここまで書くともうお分かりのことと思う。

この発音が意味する漢字は「大辟」ー。大嶽山とは大辟山だったのだ。
この「大辟」については、すでに紹介した。
大辟は大避であり大酒であり大闢(たいびゃく)であり、それは、古代イスラエルの王ダビデを指している。
ーとすれば、亀とは大辟。亀とは亀甲紋であり六角形図形で象徴される。

この六角形図形は、六芒星といわれ、別名が「ダビデの星」。
ここまでに表示されてきた亀の山はダビデの山を表わしていたのだ。
そして、亀の山がハタ氏の里の正面にあったのは、それぞれの里には、ダビデの民がいるという意味を持つ彼らの旗印だったのだ。八幡山連峰の正面にはオオザケの旗印が示されていたのだ。
それは古代のある時期、秦氏がこの山にいたことを物語る。すべてのヒントがオオザケにあった。
このオオザケの源が亀山ピラミッドの南南西方位にあった。

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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版2

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海侵四〇メートル
播磨風土記・姫路地名由来の伝説を正確に読み解くと、伝承は海水位四〇メートルを記す。
つまり、この時の海水位は現在より四〇メートルほど高かった。
伝承に登場するのは、大汝(おおなむち)命と火明(ほあかり)命。この二人は時代を特定しているのだ。
 

では、それはいつなのかー。
それは、神武天皇の諡号(別名)に隠されていた。

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さらに同じ「姫路」地名がもう一ヵ所、存在する。
 
さらに又、八幡を示唆する神社ラインが存在していた。

●神社一直線の大蛇伝説

それが海侵四〇メートルの位置であり、そこには奇怪な大蛇伝説が伝わっていた。
市川流域に、播磨風土記・的部(いくはべ)の里(姫路市香寺町)があり、この岩部集落の大年神社に、風変わりな祭が伝わっている。

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●亀山

平成二〇年に至り、兵庫第二のピラミッド山を発見する。
亀山(きのやま)は標高四五八メートル、兵庫県南西部のたつの市にあり、別名、城山(きのやま)ともいう。
この頂上付近に存在したのが、奇妙な「船型の石積み」だった。
高さが二メートル以上の石積みで、目を凝らして観察していくうちに、あるものを形作っていることに気づいた。
 
それは「神輿を乗せた船」の形だったのだ。

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奥宮神社
さらに、山の頂上の井関三神社の奥の院・奥宮神社に祭られていたのは、天照国照彦だった。
天照国照彦はアマテラスの前身ではないかと云われる神で、あちらこちらで祀られている神ではない。
この神社の御神体が神殿背後の五メートルばかりの立石だという。
 
この「立石」と「船型の石積み」には関連があるのかどうかー。

●亀型の方位石

亀山に亀型の方位石がある。
指す方向は「東方位」ー、東方向に何があるのか。
たどって驚きー、なんと、亀の先に亀がいるのだ。それも一つ二つではない。ずうっと彼方へ続いて行く。

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日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版1

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本書は、日本ピラミッドはラインで解けた!上・下巻の案内版です。
各内容での詳細説明が省略されています。詳細は、本編をご覧ください。
本編の詳細は下記から
◆日本ピラミッドはラインで解けた!冊子案内


●八幡山の発見

平成十四年、兵庫県の生野山中で奇妙な巨石遺構を発見した。
当時この山は、生野町と神崎町・大河内町(この二町が合併して現在の神河町になった)の三町の境界点上になり、山名を、八幡山と云った。
その頂上には、数十個もの巨石が配列を為して、東西南北以下の方位を指し示し、その中には、磁場が狂い一定の方向を指し示す巨石もあった。それが、古代のピラミッド遺構だった。

●酒井勝軍と竹内文献
 

日本のピラミッドは今から七〇年をさかのぼる昭和九年、酒井勝軍発見した広島県庄原市の葦嶽山に始まる。
謎の奇書・竹内文献には「日来神宮ーヒラミット」の記述があり、日本は元より世界の山々が記されていた。
酒井はこのヒラミットが、古事記に記された八尋殿(ヤヒロドノ)であると指摘する。八幡山方位石の指す方向には、まさに、竹内文献に記された山々が存在していたのだ。
さらに、八幡山を中心に描いた十六方位線上には、兵庫県の千メートル級の山々の八〇パーセントまでが存在した。

●兵庫十六方位図
http://taiyo.goraikou.com//hyogo/00/h10-hachiman.htm

剣山
四国徳島には、奇々怪々な伝承が伝わる。

剣山頂上には、ソロモンの秘宝・伝説のアークが秘匿されているという噂があり、白人神社の磐境は、古代イスラエルの石組みに似ていると云われ、東祖谷村の八幡神社は栗枝渡(クリシト)神社ともいい、地元ではクルス堂と呼ぶ。


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●八幡山連峰
八幡山近郊の伝承から現れたヒメコ山の北斜面は、膨大な方位石が立ち並ぶ八幡山の第二拝殿だった。さらに、連峰最南部の大嶽山の頂上にも磐坐が存在する。
 
八幡山は八幡山ーヒメコ山ー大嶽山とつづくピラミッド連峰を成していた。

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●秦氏はクリスチャンか?
明治四十一年、元東京文理化大学の「佐伯好郎」博士は、秦氏がクリスチャンだったと指摘した。

「広隆寺」

京都市右京区太秦(うずまさ)に秦氏の氏寺があり、その別名が「太秦(うずまさ)寺」だが、これと同じ名前の寺が中国にもあった。
六三八年、景教の教会・波斯(はし)寺が長安に建立された。
波斯(はし)とはペルシャのことである。この波斯寺は、後に大秦寺(たいしんじ)と改名される。中国で「大秦」と書けば古代ローマ帝国を指した。
景教とは中国に伝わったキリスト教のことで、中国では「大秦景教」と呼ばれていたのだ。


「蚕の社」の「三柱鳥居」

広隆寺の傍の蚕(かいこ)の社もまた秦氏創建の神社だが、ここに建っている鳥居には、鳥居の柱が三本あるのだ。三本の柱に込められた意味とは何か。「新約聖書」には聖なる存在が三人いる。
「御父」ー父なる神。
「御子」ーイエス・キリスト。
「聖霊」ールーハと呼ばれる存在。
博士はこの三柱鳥居が、キリスト教の教義である三位一体の象徴ではないかという。


「大酒神社」

同じく秦氏創建の「大酒神社」は、かつては「大辟」と書いて「オオサケ」と呼んだ。兵庫県赤穂に秦氏の頭領を祀った「大避神社」があるが、この神の正体が一切不明・・、わからないのだ。
ところが、佐伯博士は、景教教典の中に「大辟」とそっくりな名前の男を発見した。
その名は、「大闢(だいびゃく)」。
大闢とはー、イスラエルの王「ダビデ」のことだった。
大辟明神とはダビデ明神ー。大辟神社とはダビデ神社だったのである。

ここからは、古代の日本に古代のイスラエル人がやって来たのではないかーという話に発展していく。
しかしそうではない。
日本の古代史は、そんなに単純なものではないのだ


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