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不思議の古代史ブログ版

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白髭神社の謎が解ける!

不思議の古代史は、天孫降臨からさかのぼる超古代の歴史を対象としてきました。
記紀が記した神武天皇以降の有史とされる歴史では、既に多くの古代史家が取り組まれており、おそらく、誰かが既に真実の歴史を解明されているのではないかとタカを括っていたのですが…、

ありました!

神武天皇以降の、一応、有史とされている日本の歴史は、この歴史家の解明で事実を突いているのではないかと思います。

加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズの数巻です。
邪馬壹国と邪馬臺国の謎、神武天皇と祟神天皇の謎、これが朝鮮半島の歴史と密接につながっている…。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12


この本は鹿児島県付近をかなり細かく描いているので、とっつき難い面があり、ちょっと難しいです。

さきに、朝鮮半島と日本の歴史の繋がりを見ておくと、比較的、理解しやすくなります。

⇒下記、長浜浩明の「韓国人は何処から来たか」

http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#11

史書に書かれている歴史は、あなたのご存知の半島の歴史とは、まったく違います。
江上波夫の騎馬民族王朝説は、史書の裏づけは一つもない、まったくのデタラメだったことが分かります。

長浜浩明の本は、分かりやすく書かれています。

全体は三国史記(韓国高麗の史書)を元として書かれています。

ーが、ちょっと偏った思想の部分もあるようですので、その点は注意を。
たとえば、檀君神話の熊女を「動物の熊」のように捉えていますが、これは「クルの国の女」という意味で「神の国の女神」という意味ー。

長浜浩明の案内VTRが、YOU-Tubeにあります。
https://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4

そして、この二人の作者の歴史から解明を進めていくと、
高橋良典氏の描いたカラ族の歴史につながってきます。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#14

神代の残像の五巻をお持ちの方…、
第四章・蘇える古代都市から、この265ページですが、

ここに、スサダミコが世界の16方位に置いた古代都市が記されていますが、
この、朝鮮半島に置かれた王…ですね。

これを、加治木義博氏の「半島と日本の関係」から初めて気がついたのですが…、これがそのまま、日本に神社として存在していたのです。

下記です。

http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/03shjrohige02/03shjrohige02.htm

この辺りは、播磨風土記で半島の新羅からやって来た氏族の郷で美嚢の郷と記された所ですが、
この神社の近くにあるのが、
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/01shiragi/01shiragi.htm

三十八神社などとおなじく、一見、奇妙で歴史とまったく関係のないように見えるモノにこそ、古代の秘密が隠されているようです。
この全体からは、古事記と日本書紀が歴史を隠したように見える理由が分かってきます。



猪篠地名の謎

兵庫八幡山の所在地が神河町猪篠(いざさ)という。
この奇妙な「猪篠(いざさ)」地名とはどういう意味なのかー、
これを知る人も少ないだろう。


猪篠(いざさ)の意味は、奇妙な所から解けた。


それが、兵庫県の八幡山から西にある安志の里(あんじのさと)《現在の姫路市
(旧の飾磨郡)安富町関》にある鹿ヶ壷という滝壺の地名命名伝承だった。

猪篠の奇妙な漢字は当て字であり、問題は「いざさ」という発音にあった。
「いざさ」とは、実に神さまの名前だったのである。


下記を、参照してください
●「鹿ヶ壷」のイザサ王伝説http://hach8.web.fc2.com/fudoki/densetsu/isasa00.html



鹿ヶ壷案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/03ibo/03himeji/0303seki-shika.htm


イザサが何者を意味しているのか、ご理解いただけたでしょうか。
このイザサ王の伝説は、この地だけでなく、奈良県にもあるらしい。


◆リンク
大和国(奈良県)吉野郡伯母ヶ峰(おぼがみね)の為笹(イザサ)王
http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-panda/11141560/



イザサは巨大な鹿で表わされたものらしく、鹿角をご神体とした神社が岡山県にある。

岡山県化気神社案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/81okayama/8103soshya/0311keki.htm



この神社の祭神が伊奢沙和氣(イササワケ)神・・

つまり、イササ別神で、イササから分かれた神という意味である。
イササワケを祀る神社は、


福井県敦賀の気比神宮(けひじんぐう)である。

◆リンク

敦賀の気比神宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%A3%E6%AF%94%E7%A5%9E%E5%AE%AE


イザサワケは、伊奢沙別・去来紗別などと記される。
気比神宮の説明からは、祭神・伊奢沙別(イササワケ)命の正体は分からないのだが、
あなたはこの神の正体が分かっただろうかー。


伊奢沙別(イササワケ)は、気比(けひ)大神、または、御食津(けつ)大神とも記され、
さらに、笥飯大神とも記される。

この最後の「笥飯」は、「す・はん」と読める。

これを万葉ガナ読みすると、「笥飯」は「すは」・・。


笥飯大神とは、「すは大神」なのか?


兵庫県の気比神社





八幡山はピラミッドか

●プロローグ

八幡山という名の山が、全国に数え切れないほど多くある。

しかし、百名山・二百名山と云われるような高山、つまり、標高の高い山には存在していない。
地域の近くにある小高い山の場合が多い。
そして八幡は、町の名前、集落の名前にも多くある。

八幡は関東では「はちまん」と読むが、関西では「やはた」と読む。

今は北九州市に合併した九州の八幡市は、やはた市だったが、滋賀県の近江八幡市は、近江はちまん市だ。
そして、八幡山には八幡神社が祀られていることが多い。
八幡神社とした場合には「はちまん」神社と読み、「やはた」神社とは読まない。
八幡山には、八幡神社が関係しているらしい。

兵庫県生野に存在した八幡山は標高七一五メートル、全体に高山が少ないこの地域では高い山の方だ。
この八幡山にも八幡神社が関係している。
そして、兵庫生野の八幡山は、どうやら古代のピラミッドだったらしい。


八幡山伝承

ー古来、地元ではこの山の頂上を仰いで明日の天気を予測したという。
山の頂上は、朝来市生野と神崎郡神河町の境界にあり、平成の合併までは、生野町・神崎町・大河内町三町の境界点になっていた。
東の山麓、当時の神崎町猪篠(いざさ)集落からは「八幡山」、生野町では「くぼ山」、大河内町北部の渕(ふち)方面からは「とんがり山」と呼ばれていた。

猪篠集落の氏神・八幡神社には、神社の前身が八幡山に祀られていたという伝承が伝わっている。
この八幡山伝承に着目して、八幡山を踏査した人物がいた。
昭和五十八年当時、猪篠地区長を務めていた中井義和である。


冊子発行の前年、彼は伝承を確認すべく八幡山を踏査した。
だが、彼はこのとき、「どやしき」らしい平坦地は発見できなかった。
ところがその代わりに、奇妙なものの存在に気づいた。


彼は、次のように記している。
ー南西方向から頂上にかけて十数メートルの間に、ひと抱えにあまる大石が十数個、あるいは、二~三個重なり向きを変えて単独で転がったりしている。二~三人の素手では動かせそうもない大きな石である。
よく見ると山石ではなさそうだ。表面がなめらかで明らかに川石である。その二~三個にくさび状の切り込みが入っている。
 しかし、この石は不思議である。石垣・礎石の類(たぐい)ではなさそうだ。
八幡神社の前身の痕跡を求めて登ってきたが、この石はそれ以前の、なんらかの原始信仰に関する痕跡なのかもしれない。 
中井は、このように奇妙な巨石の存在を記録し、下記のような写真を掲載していた。

これは何だろう?とー、
興味をもったのが八幡山に係わった最初だった。
この一ページに出会ってから十年ほどにもなる。
この中の八幡山がどこにあるのか、当時、地元で聞いても分からない。地図を入手して所在は確認したものの、さて、実際にどこから登るのかはっきりしない。
平成の現在、普通の人にとって山は遠い存在になってしまっている。

14hyoshi11.jpg詳細は⇒冊子「八幡山はピラミッドか」

 


風土記地名の謎を解く!「姫の国への道標」

⇒TOP--PAGE・目次

播磨国風土記(はりまのくにふどき)は、奈良時代初期(紀元八世紀)に編纂された播磨国の『風土記』です。
兵庫県南部の加古川・市川・揖保川・千種川の四つの流域について記されています。
ここで主として取り上げていくのは、「地名と地名伝承」です。


●風土記地名には当て字がある!

多くの風土記の解説書がありますが、風土記の地名漢字を当て字として捉えているものは見たことはありません。

風土記には多くの当て字が使われており、漢字の意味を解釈しても見当はずれの解釈にしかならない。
たとえば、「針間と播磨」・・いずれも「はりま」ですが、「針間」は美嚢の郡で、「播磨」は飾磨・賀毛の郡で使用され、「針間と播磨」の二つの漢字表記が出てきます。
ーが、この違いを漢字で解釈しても意味はないようです。
当時すでに「はりま」と発音していたものに「針間と播磨」が充てられたものらしい。
そしてそれは、美嚢の郡と飾磨・賀毛の郡の書き手が異なることを意味しているのではー。

つまり、風土記の原本は「漢字」ではなかったのではないかー。
こうして見ていくと、今までよく分らなかった多くの謎が解けていきます。

さらに、風土記の記述が多くの山上に存在する磐坐(いわくら)と結びつく。
多くの山上磐坐が神社の前身とされています。
風土記と神社伝承が結びつき、更に、山上の磐坐と結びついていくのです。

風土記記述の地名伝承には多くの創作があるらしい。
さらに、各地に伝わった地名伝承にも多くが後世の創作らしい。

地名伝承の多くはウソ話!らしい・・それがピラミッドラインから現われてきます。

本編は、播磨風土記⇔神社伝承⇔山上の磐坐を結び、真実の日本古代史に迫ろうとするものです。

姫路地名は「道程地名」だった。それは、姫路14丘地名伝承に現われてくる・・・八幡山16方位をベースにたどると謎が解けてくる・・・

この詳細は冊子版でどうぞ 

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●奇妙な連番地名?

⇒TOP--PAGE・目次


奇妙な事実?・・のようです。
ふとしたことから、おもしろい事に気づきました。
「×が」と発音する地名が、あいうえお行以下、全てに存在するのではないでしょうか。

たとえば・・・、
英賀(あが)、伊賀(いが)、宇賀(うが)、恵我(えが)、男鹿(おが)・・・です。
ほかにもよく知っている地名がありますね。
加賀、佐賀、滋賀、須賀・・など。

これはおかしいな・・と、順に調べてみることにしました。
以下に、「あ行」から順番に「○が」地名を並べてみました。
日本列島のどの範囲にまで広がっているのでしょうか。
多くは広域地名ですが、おそらく、小字地名にもあるのではないかとも思います。
あるいはこれらの地名は、「連番地名」ではないでしょうか。

あいうえお順の最後の方では発見できていない地名もあります。
ご存知の方、教えてください。

◆奇妙な連番地名一覧の一例

【あ行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=あが=
英賀(兵庫県姫路市飾磨区英賀)
阿賀(新潟県東蒲原郡阿賀町)
=いが=
伊賀(三重県伊賀市
=うが=
宇賀(島根県宇賀荘町)、
=えが=
恵我(会賀・餌香・恵賀・衛我とも書かれ、餌香川や餌香市として『日本書紀』にも出てくる古くからの名称・
飛鳥時代から奈良時代にかけて栄えた。大阪府藤井寺市国府の、大和川と石川の合流点付近にあったとされる)
=おが=
男鹿(秋田県男鹿市ー男鹿半島)

男鹿(栃木県日光市・男鹿川《おじかがわ》 
男鹿(長野県長野市・男鹿沢《おじかさわ》
男鹿(兵庫県姫路市家島では、男鹿《たんが》 島)
男鹿(島根県松江市男鹿《おしし》)
男鹿(山口県阿武郡阿武町男鹿島《おとこかしま》)
男鹿(長崎県南松浦郡新上五島町男鹿島《おとかじま》)

【か行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=かが=
加賀(石川県加賀市)
=きが=
木賀(神奈川県足柄下郡箱根町木賀)
=くが=
久賀(山口県大島郡周防大島町ー旧久賀町)
=けが=
毛賀(長野県飯田市毛賀)

=こが=
甲賀(滋賀県甲賀市(こうかし)

【さ行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=さが=
佐賀(佐賀県)
=しが=
滋賀(滋賀県)
=すが=
須賀(愛知県美和町蜂須賀、羽島市正木町須賀、岐阜県平田町須賀)
=せが=
瀬加(せかー兵庫県)
=そが=
曽我(神奈川県小田原市曽我光海)

【た行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=たが=
多賀(青森県八戸市多賀台)

=ちが=
千賀(宮城県塩竈市千賀の台)
=つが=
都賀(栃木県下都賀郡都賀町)
=てが=
手賀(岐阜県手賀野)
=とが=
利賀(富山県南砺市利賀村)

【な行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
=なが=
名鹿(高知県四万十市名鹿・名鹿の浜)
那賀(徳島県那賀町)
=にが=
仁賀(広島県竹原市仁賀町

=ぬが=※ヌノガ、又は、フガ・フカかもしれない。
布賀(岡山県川上郡布賀村

=ねが=

=のが=
野鹿(徳島県山城町の野鹿池山
野賀(京都府南丹市美山町高野野賀

【は行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=はが=
羽賀(栃木県鹿沼市・羽賀場山

=ひが=

=ふが=
布賀(岡山県高梁市備中町布賀(ふか)

=へが=
=ほが=

【ま行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=まが=
間賀(鳥取県西伯郡伯耆町(旧溝口町)福岡・間賀の滝
=みが=
=むが=

=めが=
女鹿(青森県青森市女鹿沢(めがさわ)   
女鹿(山形県飽海郡遊佐町女鹿(めが) 
女鹿(埼玉県比企郡ときがわ町女鹿岩(めがいわ)
女鹿(山口県阿武郡阿武町女鹿島(おんなかしま)
女鹿(福岡県八女郡矢部村女鹿野(めじかの) 
女鹿(長崎県平戸市女鹿(めが)・女鹿女鹿崎(めがざき) 

=もが=
茂賀(滋賀県彦根市賀田山町茂賀


【や行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=やが=
矢賀(広島県広島市東区矢賀

=ゆが=※神社名はあるが地名がない。

油賀(岡山県岡山市南区・油賀神社

=よが=
与賀(佐賀県佐賀市与賀町

【ら行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
=らが=
=りが=
=るが=
=れが=
=ろが=

【わ行】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

=わが=
和賀(岩手県西和賀町
 


日本ピラミッドはラインで解けた!抜粋版6

TOP-PAGE・目次


●竹内文献は事実を記す!ー竹内文献の検証
 
竹内文献とは、明治に出現した古史古伝のひとつである。
竹内文献には、日本の正史・記紀に記されない超古代の歴史が記されていた。
日本の古書には、山岳の巨石遺構については一切の記載がない。
ところが、竹内文献にはピラミッドが記されていたのである。
それは、竹内文献に伝わった「御神宝」の中の御神体石(ごしんたいせき)に、神代文字で彫り込まれていた。
『イヤヨ月円(まど)六日、吉備常根本国 大綱手彦命天皇霊廟 亦ノ名メシヤ 日ノ神月ノ神 造主神日来神宮』

・・・・略・・・・

アカデミーは竹内文献やその他の古史古伝を偽書として葬り去っている。
しかし、これが事実の古代史が解明できない理由なのだ。
竹内文献には広辞苑でも把握できない事実が記されている。
そのひとつが地名である。
ここでは、ピラミッド山探査の途上で現われたひとつの事実をご紹介する。

●コゼ

市川流域の市川町は播磨風土記で川辺の里と呼ばれた地域で、川辺の里は東岸一帯を指しその中心が小畑集落だ
った。小畑は南の川辺から北へ伸びたY字形の集落で、集落中央で山を挟んで東小畑と西小畑に分かれる。
風土記に出てくる小畑川は、東小畑を貫流して最北の山に突き当たる。この突き当りが「コゼ」と呼ばれる谷で、突き当たりの山を地元の者はコゼ山と呼んでいた。
だが、この「コゼ」の意味を知る人は一人もいない。
昔からそう呼ばれ伝えられてきた地名であり、広辞苑にも載っていない言葉だ。
ところがこの意味が解ける。竹内文献の中にこの「コゼ」があったのだ。
地名・・ではない。風の名前なのだ。

東小畑北端の「コゼ」は、東の風を意味する言葉だったのだ。
すると東小畑に対応する西小畑にも、あるー、
西小畑には「ナゼ」と呼ばれる場所が存在した。
ナゼとは「西の風」、ふたつの言葉は、対応地名として使われていた。 

・・・・略・・・・

さらに、これらの言葉のいくつかが今でも生きていた。
また、地名としても広域の範囲で残っているのだ。

二〇〇五年には、蟹江敬三・主演の映画まである。
タイトルは「MAZE マゼ」、高知県香美郡夜須町手結港を中心に描かれた漁師の物語である。
マゼとは南風の意味で、高知県の田野浦・室戸・高知などの漁師の間で現在も使われているという。
高知市民図書館に拠れば、マゼとは南から吹く温暖なやわらかい風で、この言葉は四国・九州に広く分布しているとしている。

・・・・略・・・・

さらに、全国の地名ー。
愛知県豊田市松平志賀町コゼ。

ここでは漢字を充てることなく、そのままの発音地名で残っている。
この発音に漢字を充てた地名が、
新潟県新潟市西区小瀬。 
兵庫県姫路市夢前町古瀬畑。
ナゼには、名瀬・奈瀬などの漢字が充てられ、
京都府綾部市戸奈瀬町。 

神奈川県横浜市戸塚区名瀬町。 
鹿児島県奄美市名瀬佐大熊町(旧・鹿児島県名瀬市)。鹿児島県奄美市名瀬(旧・鹿児島県名瀬市)。
奄美大島の名瀬地名由来では、古くは琉球に属していたこの地の名前の由来について、魚瀬(ナゼ)、空地(ナージ)、大島の中地(ナージ)からきたとする説があるが定説はない、とされているらしい。
マゼには、馬瀬・間瀬などが充てられ、

・・・・略・・・・

地名由来の一例として、岐阜県の馬瀬ではー、
馬瀬川は飛騨川第一の支流でその両側には千メートル以外の山並みが続き、川沿いの平野・河岸段丘の上に馬瀬村の集落が点在している。

馬瀬村のマゼ地名はこのような地形から生まれた。マは壁で、仕切った居間や応接間の「間」、
壁のような山に囲まれた広がりの間で、間を流れる川が馬瀬川であり、全国のマゼ地名の大部分は間瀬であるー、
と、まあこのようにまことしやかに説明されているが、デタラメ話ー。
それぞれの地域でそれぞれの地名由来が語られていると思われるが、それらは全て間違いである。
これらの地名のある場所には、おそらく、その近隣に対応する地名の痕跡が残っているはずだ。
全国にある数多くの地名は、発音に漢字を充てたもの・・、つまり、地名は漢字以前から付いていたのだ。漢字は、発音に充てた単なる当て字にすぎない。
竹内文献が漢字以前の歴史を記していることは間違いない。



●謎の竹内文献
竹内文献とは、越中富山(富山市)の御皇城山(おみじんやまー現在の呉羽山)にあった皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)に伝わった古文書類である。
竹内文献には、その出生から最後に至るまで、奇妙な悲劇の影が付きまとう。
伝承によればー、
竹内文献は神武天皇以来、代々の皇統に伝わる神代からの歴史書だった。

・・・・略・・・・

さらにー、竹内文書には信じ難い記述がつづいていく。


本編の詳細は下記でどうぞ
◆⇒日本ピラミッドはラインで解けた!冊子案内


竹内文献/皇祖皇太神宮富山
竹内文献/皇祖皇太神宮/茨城


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